御巣鷹山慰霊登山
2019年5月25日に,危険学プロジェクトとして4回目の慰霊登山を行いました.
1回目と2回目の慰霊登山は,墜落事故(1985年)の25年目にあたる2010年の5月15日と26日に行っています.2回に分けたのは,参加希望者が90人近くになったためです.3回目は,事故から30年目になる2015年5月23日に行いました.
いずれも,「危険学」で最も大事にしている三現(現地・現物・現人)で行いました.
御巣鷹山墜落事故の三現とは,“現地”として御巣鷹山慰霊登山を行い,“現物”としてJAL安全啓発センターで事故機の隔壁・残骸・遺品等を見学し,“現人”として遺族や事故関係者の講演を聴講したり,“現地”にいて,“現物”を前に体験談を聞くことを通して「参加者が頭の中に事故の全体像を構築し,自らが事故を防ぎ安全を実現するため努力する主体となること」を言います.
今回も事前にJAL安全啓発センターを見学し,慰霊登山では,8.11連絡会事務局長の美谷島邦子氏,御巣鷹の尾根管理人の黒沢寛一氏,元JAL安全啓発センター初代所長の金崎豊氏に同行してもらい,移動中のバスの中や慰霊の園,御巣鷹の尾根の関係する場所,箇所,物について話を聞き,質問,感想等を述べあいました.
2回目の慰霊登山が小雨交じりだった以外はすべて晴天で,今回も新緑の緑と抜けるような空の青さが印象的でした.
慰霊の園では,慰霊塔に献花し,全員で1分間の黙とうをしました(写真-).慰霊塔の右側には宇宙飛行士の若田光一氏が2009年7月に宇宙ステーションから持ち帰った種から育った「宇宙すみれ 春野・希望」と命名された「すみれ」が植えられていました.「春野すみれ草花愛好会」が育てたそうです(写真-2).また,慰霊塔の左側には,3回目の慰霊登山の時に改装中であった展示棟が完成していました.この展示棟は,「事故を知らない世代でも,何が起きたかわかるようにしたい」という遺族の願いにより建てられたものです.
御巣鷹の尾根では,昇魂之碑に献花し,各人が犠牲者の冥福を祈りました(写真-3).その後,毎年の慰霊祭で行っているように,参加者全員で昇魂の碑に向けて鎮魂のシャボン玉飛ばしをし,安全の願いを「しおり」に託しました(写真-4).同じように,美谷島健君(当時9歳)の墓標に献花し,ご冥福を祈るとともに鎮魂のシャボン玉飛ばしをしました(写真-5).
御巣鷹山事故の慰霊行事には,当該事故の遺族や関係者のみならず,尼崎脱線事故や笹子トンネル事故の遺族など多くの事故遺族やボランティアが集うようになっています.御巣鷹山は,事故から30数年を経て,事故遺族や事故関係者,さらには事故撲滅を願う人たちの“聖地”になりました.また,この事故を契機に,事故後の遺族対応,原因究明,責任追及,再発防止,遺品の取り扱い,補償問題,後世への伝達等多くのことが改められました.まさに,「御巣鷹」は新しい安全文化の形を作ったといえます.
御巣鷹の尾根管理人,ボランティア,JAL社員など多くの方々の奉仕のお蔭で,参道も高齢者が歩きやすいように,実によく整備されていました(写真-6).
ただ,原因究明,制度や仕組みの改善等いずれについてもまだまだ不十分な面があるし,遺族の高齢化も進んでいます.安全には継続性が最も重要で,御巣鷹に残された物をどう引き継ぎ発展させていくかが,後に続く世代の大きな課題として残っているように思います.
写真-1 慰霊塔に献花・黙とうする一行
写真-2 宇宙スミレ
写真-3 昇魂之碑に祈りを捧げる一行
写真-4 鎮魂のシャボン玉飛ばしと安全を願う「しおり」
写真-5 美谷島健君の墓標に集まった一行
写真-6 参拝道の階段の工夫
*写真撮影日:2019年5月25日