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「ちきゅう号」建造実見印象記【2004/6/3】

畑村創造工学研究所
畑村洋太郎

記録 2004年6月5日 (土)
見学日 2004年6月3日 (木)
見学場所 三菱重工業長崎造船所
見学同行者 3名

はじめに
海洋研究開発機構(JAMSTEC)の行っている「ちきゅう号」のプロジェクトの運用専門委員を今年の2月に引き受けた.できるだけ早く建造中の船を見て欲しいと言われていたが,多忙のため,実物を見に行く機会がなかった.そこで,だいぶ無理な日程ではあったが,建造中の船を実見(実際に見る)することにした.  案内してくれたのは,海洋研究開発機構の深海ドリリング計画推進室田村義正次長,地球深部探査センタ斉藤孝雄安全管理グループリーダ,三菱重工長崎造船所の船舶営業グループ須永一弘課長である.また,面談したのは長崎造船所飯島史郎所長,小松雄介副所長,松村栄人副所長である.また,「ちきゅう号」の案内では橋本博之主幹プロジェクト統括にお世話になった.  6月3日は好天であった.7時50分の飛行機で羽田を発ち,10時前に三菱重工業の本工場で所長・ほかの方に挨拶をした後,クルーザで香焼(こうやぎ)工場へ移動してプロジェクトの説明を受け,午後建造中の船内を見学した.午後6時前には羽田に帰着するという相当な強行軍ではあったが,非常に密度の濃い実見を行うことができた.このようなチャンスを与えてくださった海洋研究開発機構の方々と三菱重工業長崎造船所の方々に厚く御礼申し上げたい.

1.プロジェクト概要
まず,このプロジェクトの全体を記しておこう. 「ちきゅう号」はIODP(Integrated Ocean Drilling Program 統合国際深海掘削計画)に使用する船の中で最も主要なものである.従来の掘削は,ドリルパイプだけで掘り進み、海水を注入して掘り屑を押し出す方式で行っていたが,建造中の船は石油掘削に使われているライザ掘削技術を導入している.この技術により環境を汚染することなく,深海での掘削・サンプルの採集ができる. 最大の特徴は深さ2500m(将来的には4000m)の深海で,海底から7000mの深さまで掘削できることである.海洋底では地殻の厚さが薄くなっている.これは,昔地学で勉強したとおりであるが,海洋底は玄武岩系でできていて,アイソスタシーの原理により,地上の軽い安山岩系統のものが乗っていないので,そのため海底が深くなり,その上が比重1の水で満たされる構造でなっている.そしてこの地殻の厚さが約6000mなので,深さ7000mとなればマントルにまで到達可能だそうである.この船は国家予算により建造され,総工費は600億円である.船体は三井造船が約200億円で製造した.そしてそれ以外の部分,掘削装置・その他を三菱重工業が請け負った.船の大きさは,総トン数が57,500tであるから,トン当たりが約100万円ということになる.これならばだいぶ儲かるのではないか,と聞いてみたらそのようなことはない,との話であった.これは単に口先だけのことではなく,掘削部分がほとんど欧米からの輸入で,非常に高くつくため,実際の儲けはないのだ,という説明があったので納得した.  一連の実見で感じたことをこれから先に記していこう.

2.長崎湾にかかる斜張橋
本工場から香焼工場までクルーザで移動したとき,とても面白いものを見た(図1). 長崎湾の両岸に200m近い高さの塔が2つ立っており,約70mのところに,水平な梁が飛び出していた.湾を横断する橋を造っているそうだ.約70mのところに桁がくるのを見た途端に,これは今流行の斜張橋を造るのだな,と思ったので,聞いてみたらその通りであった. 土木の世界にも流行はあるものだ.桁の高さが70mならば,海面から約120mの高さのちきゅう号はここは通れない.即ち香焼工場には行けるが,本社工場のほうには行けないことになる. この70mという桁の高さについて考えてみると,世界中で大きな橋を造るときはどうも海面から高さ70m以上のところに橋を架けることになっているようだ.多分昔の帆船のマストの高さが68m程度で,それを基準に決まったものではないだろうか.ここの斜張橋は有料道路になるそうだが,通行料金が高ければ使わないと地元民は言っているそうである.東京湾横断道路と同じことになるかも知れない.こういうものは無料にするべきではないだろうか. "受益者負担"という考え方にも一理あるが,利用されなければ非常に大きな無駄になるからである.このような公共工事,特に交通網については,"受益者負担"という考え方だけで考えるのはとてもおかしい.ただしそのことを盾にして,道路族が次々と要りもしない道路を造るのはもっと気色が悪い.

3.「ちきゅう号」について
(1)「ちきゅう号」の構成
「ちきゅう号」の構成を図2に示す.全長が210m,全高は116m,幅38m,喫水線以下の深さが9.2m,排水量57,500tである.船の構造が面白い.船の構成は前から順に,ヘリコプタのデッキがあり,次に船の操船をするブリッジがある.その次に居住区画,個室が128室あり,定員150人である.そしてその次の研究区画は4層即ち4階建てになっていて,総面積が2300㎡ある.そしてその後ろにドリルに使うパイプなどを置く部分があり,更にその後ろにデリック(やぐら)の大きな塔が建っている.このデリックの高さはドリルフロアから92m,海面から120m,船底からは130mもある.この船では基準になる部分が"ドリルフロア"である.この船は掘削を目的にするので,ここが規準になって考えられている.ドリルフロアの高さは船底から37.5m,海面からの高さは28.5mである.そして,"やぐら"の真下が面白い.大きな四角い穴が船の中にポッカリと開いている.穴は幅10m,長さ20mくらいで,蓋も何もない.要するにこの穴には海水が入っているのである.さらに,この後ろに,BOP(Burst Out Prevention,噴出防止装置)クレーンがある.これが約300tもあるという非常に大きなもので,ライザパイプの一番下,海底をドリルパイプで掘り始めるところに設置し,地層内の噴出ガスや高圧流体の噴出を防ぐものだそうである.そしてBOPクレーンの後方に泥水処理システムがおかれている.泥水処理システムはまるで粉体や泥の処理工場である.


(2)「ちきゅう号」の特徴
この船の一つの特徴は掘削で出てきた泥水を一切海洋投棄せず,処理して袋に入れて持ち帰り,陸上で処理をするということだそうである.環境に対する考慮がきちんとできている.そしてその後ろにライザラックとよばれているものがある.ライザというのは船と海底とを結ぶパイプで,中にドリルのパイプを通すためのものである.この船で使われているパイプは直径が53cmだそうである.ライザラックを据え付けるだけでも大きな場所が必要になる.そして,船の前後にナックルブームクレーンというパイプのハンドリングのためのものが置かれていた.巨大なパワショベルのブームとアームのような構造になっている.  「ちきゅう号」は, "船"上に工場と工事現場と研究所が一体になっている.さらにホテルまでついている,とでも思ったらいいと思う.研究者や操船に携わる人,現場の技術者という3種類の人間が一つの船の上に乗り,三者がそれぞれの立場から意見を主張するのだから,管理は随分大変だろうと思う.例えば天候が荒れた時のことを考えよう.研究者は相当に荒れても船をそのままの位置に留めるように主張するだろう.そして,操船している者は,早く安全な場所へ避難しようとするだろう.そのときに掘削を担当している者は,掘削の状況に応じて,できるだけ回復可能な形に処理してから,そこから離れようと考えるだろう.船長が責任を持つのか,掘削の主任が責任を持つのか,研究統括者が責任を持つのか,全体を動かすときの命令系統とその具体化の方策の中でいろいろと問題が出てくるのではないだろうか.

(3)掘削
 船の掘削の様子を図3に示す.まず,掘削時の機器の全体構成は,船と海底を結んでいるのがライザ管,ライザ管が海底に達した所に噴出防止装置を据付け,その下がドリル管である.そして地層のサンプルを採取するのが最終的な目標である.船から海底までの深さを当面は2500mを想定しているが,将来は4000mを考える.地殻の厚さは約6000mである.このドリルは深さ7000mまで掘れるので,マントルまで到達することができる.ライザ管は10m長さのものを4本1組にしながら,できるだけ短時間でこれを組み立てる方法をとっているようである.そしてドリル管は,長さ9mのものを3本1組にして繋ぎ合わせていく.そして先端にドリルビットがある.管の接続の仕方が面白い.ライザ管はフランジ結合をしているようだ.普通の機械屋が考えると,パイプの結合といえばまずフランジを考えるが,実際の掘削では単なるねじ込みの方がよほど信頼性の高いものらしく,ドリル管の接合はねじ結合になっていた.大きなトルクを伝えることができ,しかも芯が正確に出せて,着脱が可能な特殊な形状のねじになっているのだろうが,面白いねじになっているのだろうな,と思った.残念ながら実物を詳しく見ることはできなかった.


(4)パイプの接続方法
パイプの繋ぎ方が面白い.1本ずつ繋ぐのだと思っていたら,どうもライザのほうは4本,ドリルの方は3本ずつを繋いだものを予め作っておいて,それをさらに繋いでいくのだそうだ.いってみればブロック工法のような方法である.なぜかと聞いたら,繋ぎっぱなしにしておけるわけではないので,非常に高速で繋がなければ長さ2500mというものを出し入れするだけでもやたら時間を食ってしまう.それよりは,4本を1組にして長いパイプを作って,その着脱をする方が能率がよい.長くすればするほどいいものになるため,デリックが海面から120m,ドリルフロアからでも92m,というとてつもなく高いものになったそうである.どのくらいの速さかはわからないが,この着脱は非常に速いのではないだろうか.

(5)ドリル
ドリルはパイプ状になっている先端にドリルビットが取り付けられる.そしてドリルパイプの中を通って,成分を調整した泥水が送り込まれてくる.ドリルピットの溝の隙間から外に出て,そして掘った穴の壁面とドリルパイプとの間を戻ってくるという構造になっている.そしてこれの上方ではケーシングパイプというものを据えこみ,壁面との間をコンクリートで固めていくのだそうである.そうすると結局深さに応じてケーシングパイプは多段になるので,地層の状態によっていろいろな組み合わせができてくる,ということであった.

(6)採取したサンプル
採取したサンプルのモデルを見せてもらった.目測で直径約70mmのコアが採取され,アクリルパイプの中に入っていた.アクリルパイプの厚さは5mmくらいである.全長9mのものを取り出してきて,1.5m毎に6本に切断するのだそうである.小生のような門外漢は地層の岩石を採って来て観察すればよいと簡単に考えてしまうが,ここでは地層に含まれているガスや微生物について調べることを目的としているので,このサンプルを採取するパイプのところがとても複雑になっているのではないかと思う.詳しい説明はなかったが,実際には穴を掘るときからアクリルパイプを中に押し込んでいるのではないだろうか.もしかすると,引き上げてくる途中でアクリルパイプの入替えをやっているのかもしれないが,とにかく地表に出てきたときには,アクリルパイプの中にサンプルのコアが入っている状態になる. サンプルの中に炭化水素の系統の可燃性ガス及び硫化水素のような有毒ガスが入っていることがあるそうだ.船中での有毒ガスや可燃性ガスに対する対策は当然行われているのだろうが,一度でもそれが崩れたときには,大事故が起こる.居住区は "禁酒・禁煙"である."禁煙" は可燃物に対する考慮,"禁酒"は長期間一つの場所にこもっていることからこのようなことが必要なのだと思う.これらは確かに必要だが,本当に守れるのだろうか.ポケットの中に密かにお酒を持ち込んで楽しんでいる,というようなことはいくらでも起こりうる.そしてそのときにどのような処置をするのだろうか.石油会社であれば多分懲戒解雇ということをするだろう.研究者にそのようなことを強制し,有無を言わさずに管理することが本当にできるのだろうか.

(7)「ちきゅう号」の経済的背景
「ちきゅう号」は平成11年度の補正予算でできたのであるが,その背景が面白い.日本の景気回復を急いでいる政府は,とにかくお金を使う種が欲しかった.だから科学者たちの提案に気前よく予算をつけた.バブルの後遺症でできたようなものである.現在のように財政の緊縮を図っている時期ならこのようなものは造れなかっただろう.そういえば,世界一のスーパーコンピュータ群である"地球シュミュレータ",ハワイの世界一の反射望遠鏡 "すばる"も金額が500億〜600億円で,みなこの景気浮揚策でできたもののように思える.無駄だ,無駄だと言われるかもしれないが,景気浮揚策の一環であれ,このような好奇心に応じた大型プロジェクトを行うことは国の文化という側面から見れば,意味のあることではないだろうか.無駄としか思えないようなものだけが後世まで残る,ということもある.いろいろな宮殿や寺院もその類だ.見方を変えれば,神社仏閣と同じような性格を持っているのかもしれない. ただし,多くの人たちからの喜捨や寄進によってできるのではなく,国家予算で国の威信をかけて作るところが面白い.「ちきゅう号」は完成後は国際協同利用されるということである."すばる"はその土地を提供したハワイ大学が権利を持ち,そして製作に携わった日本もある程度の権利を持っている,という説明であった.そうでないと作る気もしないし,運営もできないと思うが,この"ちきゅう号"は全くオープンだそうだ.何かの時に出ていた提案されるテーマ数はアメリカが300,日本が100,ドイツが60くらいということになっていた.さて,全額を日本が負担するとなると,研究テーマがアメリカ寄りになりすぎるというので,いろいろ軋轢が出てくるのではないか,とあらぬ心配をした.

4.造船所
最後に造船所に対する印象を記す.1つは工場の鉄錆である.工場の中を見ると,クレーンガーダというクレーンの横桁の錆があちらこちらで目に付いた.造船業では不景気が長く続き,メンテナンスに十分な資金が回せなかったために,このような状態になっているのだろう.景気が回復して利益が出てきたら,メンテナンスが不十分になっていた部分をできるだけ早く手直しする必要がある.これは物についてだけではない.組織その他についても必ず"スリム化"と称して,手抜きではないにせよ,行き届かない部分があるにちがいない.そして,そのようなところで事故が起こるのである.去年鉄鋼業でタンクが吹っ飛び,事故が起こった.昔,鉄屋では錆が目につくことなどはなかった.しかし10年位前から鉄錆があちらこちらで見受けられるようになって来た.小生は錆を見るたびにどうしたのと言っていたが,やはり去年事故が起こった.これと同じようなことが起こらないように,目につく場所でこのように錆が見えたときは,見えない部分や内部はすべてそうなっていると思って,やはり見直しが必要なのではなかろうか. 一般的に言えることであるが,失敗原因は不想定と変化点にある.そして,メインのところでは起こらない.メインのところはみなが原因になりそうな所を探してつぶすが,その周りのところには注意を払わないために事故が起こる.このことは「H2Aロケット」も,環境観測技術衛星「みどりⅡ」も,火星探査機「のぞみ」もみな同じである.そういう意味では三菱重工業も,今までの管理体制を見直す必要があるのではないだろうか.一人ずつがまずくなったら何が起こるかを想定したり,自動車会社などでやっているようなトラブル探し,また横串に刺すような組織運営,を早くやる必要があるのではないだろうか.いくらきちんとやろうとしても,"順演算"だけでは失敗や事故を防ぐことはできない."逆演算"の必要性を認識し少しでも早く実行する必要があると思う.

おわりに
"ちきゅう号"の見学はとても実りの多いものだった.このような見学をさせてくださり,海洋研究開発機構の方,また三菱重工業長崎造船所の方々に厚く御礼を申し上げたい. ついでながら,小生の出番はいつも"事故調"である.事故調での出番がないように逆演算,そして変化点管理と想定外事象の撲滅,これを是非海洋研究開発機構もやって欲しい.特に建造にもいくつものところが携わり,またこれを運用するときにも種類や立場の違う人が関わることを考えると,これを取り仕切る海洋研究開発機構がよくよく注意をしなければならない.事故は同じパターンで起こるからである.

以上

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